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執筆者の写真おほしさま保育園

人の「本音」が求めるもの

久しぶりの園長のつぶやきです。


もう、カレンダーのページもあっという間に最後。

クリスマス、年越し、大雪、、、、

相変わらず考えること、やらなきゃいけないことが沢山!


そんな風に過ごしていると、年々、1年過ぎるスピードがはやいのなんの。。。。



さて、タイトル「人の本音」について…

子どもから大人まで、人が生まれてから死ぬまで

どんな国に生まれても、「本音」というものは持ち合わせていると思います。

たとえ言葉が通じない赤ちゃんでも、感じていることはきっと色々あるはず・・・・。


本音、という言葉自体の意味は「まことの音色」と言われています。たてまえを取り除いた本当の気持ち、考えを本音と表しています。


「社会は、本音だけじゃ生きて行けない」といった大人もいました。


★子どもの本音

子どもの本音は、いとも簡単に表現することができています。まだ社会性が芽生え始めたばかりの2歳頃までは、自分が思ったままに行動しますよね。包み隠さずさらけ出す。それを「素直」とも呼びますね。 本音を表現できることは、大好きなものに笑顔を見せる、欲求に合わせて泣いてみせる、イヤイヤは気の向くまま、気の済むままに表現する。素直な表現が子どもの本音のようです。

しかし、子どもも本音だけでは生きて行けません。何かしら、心の内を悟って欲しいかのように突拍子もない行動をすることがあります。そして時には大人を困らせることもあります。あえて、本音を陰にして大人に向き合うという方法を学び始めます。

ここがとっても大切なのです。

子どもは時に「ルール違反」の行動を取ることがあります。突然かんしゃくをおこす、突然ぐずる、突然誰かを攻撃しようとする、爪をかみ始める、やってもいなかった指をしゃぶる、など・・・。 「どうしてそんなことをするんだろう」と大人は悩んでしまいますよね。ましてや2歳頃になると「イヤ!」といいながら、ご飯を食べる。抱っこに「イヤ!」といいながらもやっぱり抱っこして欲しい。そんなあべこべな表現がよく見られてくると思います。

それが子どもの始めての「本音を伝える事」の手段なんだと思います。

本音を伝えただけでは、大人は振り向いてくれない。もしかしたら「今はダメよ、後でね」と後回しにされるかもしれない…という直感が働くのかもしれません。

こうやって、大人との本音を分かってもらうための駆け引きを行うと、大人がきちんと汲み取って関わってくれる、そうすると子どもは更に他人を信じて委ねられる「安心」という暖かさをもらってドンドン成長していきます。

つまり、子どもにも本音、というものはちゃんと存在しています。ですから、「ほんとに手がかかる」「いつもイヤイヤされてばかり」「なんですぐお友だちとケンカになるのかしら」「だだこねになるのか」という一辺を汲み取るだけでは子どもの心をつかんだことにはならないということです。

成長が進み3歳になる頃にはじめて「友だち」という存在を認識し、友だちが何を考えているのか、今度は自分で汲み取ろうとします。大人に対しては「私に笑顔を見せてくれるためにはどうしたら良いのだろう」「いま、ママ(パパ)は私のことどう思っているんだろう」と更にディープラーニングになっていきます。それが人間が生きる上で大切な気持ちのコントロールになっていきます。


★大人の「本音」

いうまでもありませんよね。

しかも、大人の場合は「タテマエ」もついてきます。

本音とタテマエを組み合わせて、誰しもが生きていくのでしょう。

恐らく「自分は本音だけで生きている」という人はまずいないと思います。

特に日本はタテマエ社会ですから、本音というものは少々恥ずかしいものという印象が強いのだと思います。

そこで、大人の皆さん。だからといって「本音」を押し殺していませんか?

本音は、実は大切な事なのです。

本音があるから、自分の考えをきちんと表明しようとする力があります。

本音があるから、間違った選択を回避できます。危機から回避できます。

本音があるから、自分が間違えていた、と気づくことができます。

本音があるから、自分の気持ちを守ることができます。

本音があるから、自分の存在を認識しています。

と言うことなんだと思います。

子どものように「本音」だけをさらけ出すのは難しいでしょう。でも、本音をさらけ出してもいい環境は1年のどこかにあるはずです。時間、手段、人間関係など、何かが私の本音をさらけ出すことができている瞬間があるはずです。


私たちが生きている世の中には「本音」を大きな力でねじ伏せている国もあります。

タテマエでやり過ぎて、お互いボタンの掛け違いでこじれた関係もあります。

でも、タテマエが悪いと言うことはありません。それが相手にとって幸せをもたらすこともあるでしょうから。


★本音が求めるもの

 自分自身が「幸せであること」「幸せに生きていくこと」なのかもしれません。幸せは一人一人程度も度合いも量も違います。たとえ家族でも一人一人の幸せは定義もものさしもありません。あるのはその人の「本音」が幸せの具合を表しているのだと思うのです。

考え方によっては、「それじゃあ自己中心的」と思ってしまうかもしれませんが、他人とは違うから自分なのであって、自分の気持ちは自分だけにあるものですから、良い意味で自己中心的なのかもしれません。

 なかなかそうはいっても、自由度がない場合もあると思います。しかしその自由度がなくても、程よい位のしがらみであれば、いつかはきっと本音を表現できる、幸せになれる、と前向きな気持ちになれます。それを乗り越えて生きて行ける、そう信じています。



もうすぐ年末。ちょっと休む時間ができたとき、ちょっと自分について見つめていく時間が1分でも5分でもあれば見つめてみましょう。

どうぞ、鏡を見てみてください。本音を心に大事にしまって、他人ときちんと向き合ってきたギュッとした眉があると思います。いろんな苦労や楽しいこと、愛しいわが子を愛でた眼差しを送った瞳があると思います。本音を心に大事にしまった中まで新鮮な空気をいつも入れた花があります。自分という存在やそれを言葉にしてきた口があります。それは一人一人全部違います。これからも大事にしてあげてください。


来年もみんなにとって良い年でありますように。新しい年が楽しみです!


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